デジタル変革(DX)を学ぶ

2026.03.06 07:00

識者インタビュー◎富士通 コンバージングテクノロジー研究所 境克司氏
見えない海を“可視化”――「海洋デジタルツイン」の社会実装に挑戦

 地表の約70%を占める海洋ですが、その内部で何が起きているのかを我われは十分に把握できておらず、まだまだ未知の領域です。

 一方、古来より人は水産資源の採取や干拓、物資や人の輸送など長年にわたって海を利用してきました。さらに、石油・天然ガスなどの海洋資源開発や洋上風力発電、海洋空間利用など海を舞台として産業は広がっています。また、脱炭素をキーワードにブルーカーボンへの関心も高まっています。

 そうした中、注目されるテクノロジーが「海洋デジタルツイン」です。デジタルツインとは、現実世界から収集したデータを用いて仮想空間にリアルと同じ状況のデジタル世界を構築する技術。例えば、物理的には実証実験が難しい施策をデジタル世界でシミュレーションして、その結果を現実世界へフィードバックするといったことが可能となります。

 スマートファクトリーや大規模プラントなどでは先行して導入や活用が進んでおり、端的にいえば海洋デジタルツインとは、その“海版”といえるテクノロジーです。

 海洋開発を進める中核的な技術として期待されていますが、海洋デジタルツインには、地上での実現にはない特有の難しさがあるとされ、社会実装にはもう少し時間がかかりそうです。

 この海洋デジタルツインの社会実装への挑戦に取り組んでいるのが富士通です。数年前から同社研究所において開発を推進しており、2024年には一部の技術を公開しました。社会実装を進めるべく、継続的に技術開発や実証実験に取り組んでいます。

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富士通研究所 コンバージングテクノロジー研究所 海洋デジタルツインCPJの境克司シニアリサーチマネージャー(出典:編集部撮影)

 本稿では、富士通研究所 コンバージングテクノロジー研究所 海洋デジタルツインCPJの中心メンバーである境克司シニアリサーチマネージャーに、海洋デジタルツインの概念、その技術の現在地と将来性、中小企業は同分野にどう関われるのかなどを伺いました。

技術と人文科学の融合で社会課題を解決

――まず、富士通が取り組んでいるコンバージングテクノロジーについて教えてください。

  コンバージングテクノロジーとは、さまざまな技術分野と人文科学の知見を融合して複雑で多様な社会課題を解決することです。当研究所では、AIやコンピューティング、ネットワーク、データセキュリティといった富士通の強みをいかし、これらを心理学や認知科学、経済学、環境学などの分野と融合させることで新しい技術の創出を目指しています。

 これまで交通渋滞シミュレーションや医療サービスの変化予測といったソーシャルデジタルツインを開発してきました。そして、2022年頃から、地表の約70%を占める海洋に着目して「海洋デジタルツイン」の開発に取り組んでいます。‎

――なぜ、海洋分野に。

  確かに、「富士通が海をやっているの?」と驚かれることも少なくありませんが、ひとつのきっかけは2022年4月に発生した北海道知床半島沖での観光船沈没(*1)などの海難事故が相次いだことです。気象や人間の行動データが共有されていれば、事故は防げたのではいかという思いがありました。
(*1)観光船「KAZU I(カズワン)」が沈没し乗員と乗客26名が死亡

 また、日本は海に囲まれているにもかかわらず、海洋分野ではデジタルを用いた技術開発や活用は後進国に近い状況です。しかし、人の活動が海に影響を与えていることは明らかで、デジタルツインの技術を用いて海と人の行動や社会をつなげていくことが重要と考えたのです。‎

――そもそも富士通として進めている海洋デジタルツインとは、どのようなものなのでしょうか。その目的は。

  海中の状態を高品質かつリアルタイムにデジタル空間上に再現して、多面的な海洋活用の施策について立案や検証を高い精度で、かつコストも抑えながら実現することを目指した技術です。

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富士通のコンバージングテクノロジー研究所が取り組む海洋デジタルツインの概要(出典:富士通研究所 コンバージングテクノロジーズ研究所の提供資料より引用)

 我われの手掛ける海洋デジタルツインは、単なる計測だけでなく、シミュレーションも可能にする技術です。

 例えば、海藻の成長モデルにおいて、「ウニを駆除した場合」と、「駆除しなかった場合」では1年後に成長はどう変化するかを海洋デジタルツイン上で実際にシミュレーションしました。施策を実行した場合は海藻とウニが共存するバランスのよい状態となりましたが、駆除しないとウニが海藻を食べ尽くし藻場のCO2吸収量が減少するという結果となりました。

 このように人の介入がどう影響するかをシミュレーションできることが、デジタルツインの本質です。まずは脱炭素化や生物多様性保全など海洋分野における社会課題の解決支援を目指し、将来的には海洋デジタルツインと‎多様な社会シミュレーターを連携し、社会がどう変化するかをデジタル空間で実証できるプラットフォームを構築することが最終目標です。‎

3次元形状データの取得技術を開発

――海洋デジタルツインを実現するための出発点は。

  近海の現状を可視化するために、海をデータでデジタル化することから始めました。‎海底の状況は潜水士や公的機関の潜水艇などでデータが集められることはあります。しかし、継続性がないので、実際にはどうなっているかはほとんど分かっていません。何も見えていない状態では対策できず、過去のデータがなければ何が起きたのかを推測できません

――具体的な活用分野については。

  海底資源の分野からスタートしました。国内にはエネルギーやレアアースの課題があり、AIを使って海底資源をデジタル化できないかと考えました。

 その後、CO2問題に注目してブルーカーボンの研究に移行しました。ご存じの通り、ブルーカーボンとは海洋の生態系が光合成によりCO2を取り込んで海底などに蓄積される炭素のことです。CO2の吸収源対策として世界的に関心が寄せられており、特に日本では海草や海藻などの藻場がブルーカーボン生態系として注目されています。

‎――ブルーカーボンへの本格的な取り組みはこれからだと思いますが、この分野で海洋デジタルツインが必要な理由は。

  脱炭素化に向けてブルーカーボンの活用が進められていますが、その吸収量はまだまだ不足しています。そうした状況下、ブルーカーボンではカーボンクレジットの販売を通じて資金を還流し藻場を増やしていくなど、持続可能な取り組みが生まれてきました。

 この仕組みにおける課題には、ブルーカーボンの計測技術、藻場やマングローブなどを増やす繁殖技術などが挙げられます。海洋デジタルツインは、これらの課題のうち、ブルーカーボンの計測を支援することが可能です。

 従来、ブルーカーボンの計測方法は潜水士が潜って目視で行うのが一般的でした。しかし、ブルーカーボンのクレジット化には、計測機器などを用いて生態系を高い分解能(*2)で把握する必要があります。これを実現するいくつかの技術を開発しました。
(*2)物理量を識別できる能力で、計測対象において見分けられる2点間の最小距離で表す

――どのような技術でしょうか。‎

  海中の生物や構造物の3次元形状データを高い解像度で取得するものであり、当社の描く海洋デジタルツインの実現に向けた重要な技術といえます。

 具体的には、AIを用いた「画像鮮明化技術」や、自律型水中ドローン(AUV:Autonomous Underwater Vehicle)による波や潮流下での「リアルタイム計測技術」などの要素技術で構成されています。

 まず画像鮮明化は、深層学習により海中のにごりを除去し輪郭を復元するAIを用いたいもので、計測対象となる被写体の色復元と輪郭改善を施した画像を生成して3次元化する技術です。

 海中は、にごっていることがほぼ常態で、撮影した画像は波長により青や緑がかぶったようにも見えます。視認性を高めるには地上で対象物を見るような鮮明さが必要ですから、AIを用いて波長を復元して常に一定の色に戻す技術を開発したわけです。

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水槽内のサンプルを用いた画像鮮明化技術の解説画像。鮮明化していない通常の状態(出典:富士通研究所 コンバージングテクノロジー研究所の提供資料より引用)
 
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水槽内のサンプルを用いた画像鮮明化技術の解説画像。AIを用いた鮮明化技術により海中の被写体をクッキリと捉えることが可能(出典:富士通研究所 コンバージングテクノロジー研究所の提供資料より引用)

 また、海中の動体物をリアルタイムに3次元計測する技術により、物体が“何か”ということと、その“大きさ”を認識できるようになりました。‎ここでは国際体操連盟と共同開発した体操判定を支援するシステムで培った技術や、海中の状況に適した波長を選択できる水中LiDAR(*3)を採用しています。
(*3)Light Detection And Ranging。物体に照射したレーザー光が跳ね返ってくるまでの時間を計測し、物体までの距離や方向を測定する

 これらの技術により藻場の状況を高い精度で可視化し、ブルーカーボンの計測に必要な海草の面積を自動的にAIで計測できるようになりました。海洋デジタルの実現に向けて大きく前進しました。

――その計測精度は、どれほどでしょうか。

  物体の認識率という点でいえば85%から95%です。実用的には85%以上なので、95%はかなりの高精度といえます。必要な精度はユースケースによって異なりますが、ブルーカーボンの面積評価値として認識率85%という精度は必要十分であり、このため公表値も同数字に合わせました。ブルーカーボンクレジットの計測レベルとしては、認識率の精度をこれ以上に高精度化しても価値は大きく向上しません。‎

――計測の高精度化の他に、ブルーカーボンの分野で海洋デジタルツインのメリットはありますか。

  ブルーカーボンの施策におけるコスト削減が挙げられます。この分野では100万円のカーボンクレジットを作るには、1000万円のコストがかかるともいわれています。

 これでは、だれも取り組もうとは思いません。あくまでも可能性ですが、海洋デジタルツインというプラットフォームを使うことで、そのコストを100分の1程度まで圧縮できると考えています。

中小事業者も参画の余地

――海洋デジタルツインの開発は富士通だけで取り組んでいるプロジェクトなのですか。

  いいえ、海洋デジタルツインの実現は当社だけで成り立つものではありません。富士通としては、計測技術や3次元シミュレーションといった核となるテクノロジーを提供することはできます。しかし、すべてをカバーできるわけではなく、計測に用いる水中ドローンは他社の技術ですし、ALANコンソーシアムなどにも参画しています。

 事業化という面でも同様です。例えば、ブルーカーボンにおいて当社が計測から定量化、クレジット化までの一気通貫のシステムを構築する技術を提供することは可能です。しかし、これをビジネス化するには、さまざまなパートナーと協力することが必要でしょう。

 他の企業や大学などでも海洋デジタルツインの開発プロジェクトは進められていますが、大きな組織でも開発や事業を単独で成し遂げることはできません。

――ALANコンソーシアムの名前が挙がりました。同コンソーシアムとは、どのような関係でしょうか。

  海中での通信は非常に難しい課題です。ALANコンソーシアムは海中通信技術の開発に取り組み、産学官連携による海洋技術の発展にも貢献しているグループで、我われも参画しています。

 ALANでは光技術を使った給電、無線通信、センシングの3つの分野に取り組んでおり、特に水中LiDARを使って物体をリアルに見る技術は実用化が近づいています。現在、ケーブルを使ったデータ通信が主流ですが、将来的には無線通信技術が発展することで、より効率的なデータ収集が可能になると期待しています。‎

――デジタルツインというと、やはり大企業のイメージが強いですが、中小企業がプロジェクトやビジネスに参画する余地はありますか。 ‎

  先ほどの繰り返しとなりますが、水中ドローンは我われの単独技術ではありませんし、センサー技術も他社と共同開発するなど、さまざまな企業に協力をお願いしています。協力事業者には中小企業も少なくありません。

 ビジネス化にあたっては、計測やデータ収集、藻場の造成対策、海洋環境の保全など幅広い業務が関連します。ここでは、さまざまな企業に参画してもらって協力していただく必要があり、社会実装においてデジタルと現場の知見を結びつける役割は中小企業が担う可能性が高いのではないでしょうか。

活用分野の可能性と今後の課題

――海洋デジタルツインの展開先としてブルーカーボン施策が先行しているようですが、ユースケースには他にどのようなものがありますか。

  ブルーカーボン以外にも、生物多様性保全(*4)や海洋インフラ検査などさまざまな分野へ展開できるでしょう。例えば、見えない海中を可視化することで、潜水士に代わって水中ドローンなどがデータを収集できるようになり、人手不足の解消につながります。
(*4)生物の多様性を守ることで、自然の恵みを持続的に利用すること

 ただし、潜水士が不要というわけではなく、これまで人では難しかったレベルのデータを収集できるようになることを意味します。危険な場所は水中ドローンを用いて調査するなど、人とロボットとの相互補完的な関係になります。

 また、我われ富士通が海洋デジタルツインで目指している「シミュレーションによってビジネスをどう変えていくか」という活用方法も挙げられます。‎

――実現性の高い分野は。

  海洋デジタルツインのビジネス化はまだ難しい面があり、国の予算がおりる公共事業から始まる可能性が高いと思います。それゆえ、‎自治体の海洋政策や環境アセスメントなど、例えば洋上風力発電やCCS(*6)といったエネルギー関連の海洋構造物を建設する際に、環境への影響をシミュレーションすることが考えられるのでは。国や環境省が進める「里海づくり(*7)」のような環境保全活動にも活用できるでしょう。
(*6)Carbon dioxide Capture and Storage/二酸化炭素回収・貯留。排出されたCO2を他の気体から分離して、地中深くに貯留・圧入すること
(*7)沿岸海域に人手を加えることにより、生物生産性と生物多様性を高める取り組み

――今後、海洋デジタルツインの社会実装を進めていくうえでの技術的、あるいはビジネス的な課題は何でしょうか。

  大きな課題といえば、やはり実装コストではないでしょうか。これについては先に申し上げたように、国や自治体主導のプロジェクトで解決されると見ています。

 技術的に超えるべきハードルも、まだまだあります。そもそも海洋デジタルツインは、目的により構成やシステム、必要なデータの粒度や精度などが変わります。現在、富士通としては藻場をデジタル空間に再現するデジタルツインを実現しましたが、もっと高い位置精度が必要な海洋構造物などの再現への対応はこれからといった状況です。

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海中の状況をデジタル空間に可視化したイメージ(出典:富士通研究所 コンバージングテクノロジー研究所の提供資料より引用)

 また、海洋ならではの難しさもあります。リアルの工場やプラントをデジタル空間に再現する地上デジタルツインは、人が実際に活動している場所だけに、ある程度の状況を把握しやすいといえます。

 しかし、海洋は見えにくい環境であり、何が起きているか分かりません。常に海流や温度は変化し、それが気候変動や生態系にも影響します。ダイナミックに変化する環境をデジタル化しなければならず、地上に比べて難易度は高いと感じています。‎

――海洋DXの将来性についてどう考えていますか。

  現在、海の知識は地域ごとの“達人”が持つノウハウに依存する属人化の状況にあります。これでは、サステナブルとはいえません。達人の知識やノウハウがデジタル化されれば、他の地域で似た状況が発生した際に活用できる技術として伝承できます。

 デジタル化が進んでいない海洋分野ですが、海洋デジタルツインを用いたシミュレーションを通じて利便性やビジネスの変化を示すことができれば、考え方を変えるきっかけになるかもしれません。海洋デジタルツインは、直接的にも間接的にも、海洋DXに貢献するテクノロジーだと思っています。

 
ここがポイント!
●富士通のコンバージングテクノロジー研究所では、海洋デジタルツインをはじめ、社会課題を解決する技術開発に取り組む。
●海洋デジタルツインの実現に向けて、海中の生物や藻場、構造物などの3次元形状データを高い解像度で取得する技術を開発した。
●中小企業を含め、海洋デジタルツインの開発や社会実装にはさまざまなパートナーとの協業が欠かせない。
●水産関連や漁業支援からブルーカーボン施策、生物多様性保全、環境アセスメントや海洋政策などの幅広い分野での活用が期待される。

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外部リンク

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