東京日本橋に店舗を構える株式会社伊場仙(本社:東京都中央区)は創業1590年(天正18年)、実に430年以上の業歴を誇る老舗企業です。伝統と信頼に裏付けられた団扇(うちわ)や扇子(せんす)の企画・製造から販売まで手掛けています。
創業者は、企業名の由来ともなった浜松市の伊場町の出身。豊臣秀吉から関東への移封を命じられ、江戸へ本拠を構えた徳川家康に同行して日本橋に来たという記録が残っているそうです。
初期の頃には和紙や竹材などを扱う御用商人だったとのこと。江戸中期以降となって、これらの材料を用いて付加価値を持たせた団扇の販売に乗り出します。江戸後期には、東海道五十三次で有名な歌川広重など人気浮世絵師の版元となり、浮世絵を刷り込んだ団扇絵で人気を博しました。
また、扇子はもともと落語家や舞踊家、大名など特別な用途で使われていました。明治時代に入り、徐々に庶民へも扇子を使う文化が浸透したことから、同社も扇子を扱い始めます。
以降もカレンダーや版画など時流に応じて商材を増やしながらも、団扇と扇子をメイン商材としてビジネスを展開。現在、日本橋本社の一階で営業する直営店、歌舞伎座や築地市場、羽田空港、いくつかの百貨店に商品の販売を委託しています。B to B需要も多く、寺社仏閣や企業の景品などの用途として引き合いが増えている状況です。
「訪日外国人の増加に伴い店に足を運んでくれる観光客は増え、売上も新型コロナ禍前の1.5倍へと拡大した」と同社の14代目となる吉田誠男(のぶお)代表取締役社長。客足が戻ってきたこともさることながら、この好調は吉田社長を筆頭に推進するWEBマーケティングを軸としたデジタルトランスフォーメーション(以下、DX)があってのことです。
WEBマーケティングのみならず、メタバースやNFTといった先端テクノロジーを活用したビジネスに挑戦する同社の試みを見ていきましょう。
DX推進の主目的は企業存続のためのBCP
伊場仙がDXに取り組む最も大きな目的は、BCP(事業継続計画)を見据えてのこと。これまでの長い業歴において、明暦の大火をはじめとする江戸三大大火や関東大震災など数々の大きな災害に見舞われても、その苦難を乗り越えてきただけに、リスクへの意識が高いと推察されます。
吉田社長は、「災害時にも企業として生き残り従業員を守るには、どのような状況でも売上を作らないとならない」といい、「ECサイトやSNSを活用することで日本全国はもとより海外へも販売できる」と、WEBマーケティングで新たな市場開拓に注力しました。
2022年頃のことです。新型コロナ禍による業績への影響、首都直下型や南海トラフといった大地震の発生確率の高さに危機感を深めたのがきっかけです。
もともとデジタルシフトへは早期から着手しており、1995年にWindows95が登場した当時、いち早くインターネットを活用してホームページ開設やネット通販に取り組んでいます。とはいえ、あまり手をかけられず長らく集客につながるようなものではなかったといいます。
そうした中、「新型コロナ禍でインバウンド需要も大きな打撃を受け、実店舗だけで会社を維持していくための売上を確保することに限界を感じた」(吉田社長)ため、ECサイトの強化をはじめとしたWEBマーケティングに本腰を入れたわけです。
越境ECを視野にサイトを刷新、SNSも積極活用
WEBマーケティングとは、ECサイトやSNSなどのWEB媒体に集客して商品やサービスの購入につなげる活動のこと。伊場仙では、ECサイトからの収益を拡大させると共に、サイトへのアクセスを増やすためにSNS対策の強化に取り組みました。
具体的には、海外マーケットの開拓を視野に越境EC(国境を超えた電子取引)に対応したECサイトへとリニューアルし、海外市場をターゲットに新たな市場開拓を試みました。また、法人向け販売ページをECサイト内に新たに作りました。加えて、WEBへのアクセス増や実店舗への誘因などを目的として、Instagram(インスタグラム)やX(旧Twitter)、YouTubeへ新商品情報なども含めて積極的な投稿に取り組んでいます。
WEBマーケティングの効果は着実に出ているとのこと。取り組みを開始する以前と比べて、ECサイトにおける夏の繁忙期のセッション数は3倍以上、売上高は2倍に達したそうです。売上全体に占めるECサイトの割合は、十数パーセントにまで増えました。
法人向け販売ページへは規模を問わず多様な企業から引き合いがあり、新たな取引先を獲得。ECサイトやSNSを見て、実物を見たいと実店舗へ足を運んで購入するケースもあり、「把握している以上にECサイトのリニューアルやSNS活用の効果は大きい」と吉田社長。取り組みの成果を実感しています。
先端テクノロジーを用いたチャレンジにも着手
BCPや平常時の売上拡大を目指したDXにおいて、デジタルを活用した新たなチャレンジは、こうした取り組みに留まりません。
2023年6月には、インターネット上の仮想空間であるメタバースを用いた3D美術館「浮世絵美術館」をオープンしました(*1)。この目的について、吉田社長は「浮世絵の版元として多数のコンテンツを持っている。このアセットをデジタル化して世界に発信したいと考えた」と語ります。 (*1)Edoverse株式会社(本社:千代田区丸の内)が手がける「江戸バース」のサテライト空間としてオープン
現時点では試験運用中のため一部の無料公開となっていますが、入場料から収入を得るビジネススタイルを模索。体制が整備され、コンテンツが拡充した本格展開時には有料化する意向で、準備を進めています。
さらに、同美術館では浮世絵のNFT(*2)販売にも取り組んでいます。すでに数枚の販売実績があるとのこと。販売は現金決済ですが、将来的には仮想通貨で決済できるような仕組みにするとしています。 (*2)Non-Fungible Token(非代替性トークン)。偽造できないようにした鑑定書・所有証明書が書き込まれたデジタルデータ。暗号資産と同じ仕組みでであるブロックチェーン上で取引される
「デジタル上の美術館なら、24時間営業で市場も世界を相手に商売できるので、時間や場所に関係なく売上を作れるという点でBCPにも適している」(吉田社長)。
DX推進では徹底して外部リソースを活用
越境EC、メタバースやNFTの活用といったアイデアは吉田社長の発案によるものがほとんど。しかし、これらを具体化して運用するには社内に人的リソースが不足しているため、徹底して外部のリソースに頼っています。
斬新なアイデアだけに可能な限り自社で取り組むことによりノウハウを社内に蓄積したいところですが、迅速なビジネス化を目指すなら外部委託した方が中小企業や小規模事業者にとっては効率的であると判断。越境ECやSNS活用などのWEBマーケティングも、浮世絵美術館、NFT販売も外部にアウトソーシングし、同社は最低限の管理やディレクション的な役割を担うビジネススタイルです。
また、こうしたビジネスに取り組むうえで、国や自治体の補助金を徹底的に活用している点も同社の特徴といえるでしょう。
WEBマーケティングの推進、メタバースでの浮世絵美術館オープン、現在進めているECサイトのリニューアルはもちろん、テレワークが広まる以前から東京都の補助金を得てモバイルワークによる業務体制を整えるなど、いずれの取り組みにおいても賢く補助金を活用しています。
規模の小さな企業にとって、DXやデジタルシフトを進めるための投資コストをいかに確保するかは大きな課題の一つです。前述の社内人材不足も含めて、アウトソーシングや補助金を利用することで足りないリソースを補っているわけです。
こうしたリスク意識の高さや、その対策をいかに実現していくかという考え方は、紛れもなく長きにわたる業歴の中で脈々と受け継がれてきたものといえるでしょう。
「江戸時代もリスク回避はやっていたはず」と吉田社長。だからこそ、400年以上も企業として存続しているということです。「リスク回避の方法として、今の時代はデジタルテクノロジーが使われているというだけ。メタバースやNFTにしてもビジネスになるのは数年先。そうした時代が来ることを見据えて準備をしておくことが必要」なのです。
ここがポイント! |
●実店舗だけでの売上確保に制約を感じ、BCPを視野にWEBマーケティングへの取り組みに本腰。 |
●海外市場の新規開拓を目的に越境ECに着手、SNSも積極的に活用。 |
●将来を見据えて、メタバースやNFT販売などの最新テクノロジーを用いたビジネスの仕組みづくりにも挑戦。 |
●人材や投資コストなどの不足する経営資源は外部リソースを活用。 |
外部リンク
株式会社伊場仙=https://www.ibasen.co.jp
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